大阪の新世界あたりに行くと、ビリケンさんがあちらこちらにおられます。
もっとも、今では大阪のあちこちで見られるんですが、一昔前にビリケンさんといえば、新世界のものと決まっていました。
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大阪名物 ビリケン
ビリケンさんはだいたい金色に塗られていて、足を伸ばして座って、ニヤリと笑っておられます。
足の裏を掻けば幸運が訪れるというような言い伝えがありまして、人通りの多いところにおられるビリケンさんは、足がツルツルになっておられます。
ビリケンさんとは?
幼少の頃、記者はビリケンさんは七福神のメンバーの一員の神様だと思っていたのですが、全然ちがいました。
思春期になって、ビリケンというのは、人の名前を縮めたに違いないと思っておりました。エノケンとか、ショーケンのように、ビリ山健太郎みたいなのが本名なのだろうと思っておりましたが、これも違うようです。
ただ、ビリケン誕生の明治時代の米大統領が、ウィリアム・ハワード・タフトであり、ウィリアムの愛称が「ビリー」、それに「-ken」をつけたという説もあります。ビリーちゃんというかんじでしょうか。
ビリケンさんの作者はフローレンス・プリッツ(E・I・ホースマン)というアメリカの女性芸術家だということで、日本に伝わったのは明治末期、大阪の繊維会社の田村駒株式会社が販促のためのキャラクターにしていたようです。
販促キャラクターってことは、古くは福助人形、最近では、アフラックのアヒルとか、りそな銀行のリソにゃとか、そんなのと同じということになりましょうか。
日本最古のビリケンさん
現在ビリケン像は新世界の象徴のようになっていますが、初代は、大正元年に通天閣ができた時に開業された遊園地「ルナパーク」のビリケン堂に展示されていたものだそうです。
二代目は昭和54年、通天閣の展望台に。こちらは田村駒が貸し出したビリケン像が元になっているということ。
三代目は、平成24年5月新世界100周年を記念して新しく作られました。
初代はルナパークが閉鎖された時に行方不明になったそうです。
どこに行かれたんでしょうかね?
もし、でてくれば、何でも鑑定団で超高額になるのではと思われます。
◆ 堺のT記
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