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毛馬の閘門のお地蔵さん
自宅からそう遠くない毛馬の閘門に北向地蔵さんがあります。私のウォーキングコースなので、近くを通りかかる時には必ず手を合わせるお地蔵さんです。
ちょっとくたびれた祠の中に毛馬の北向地蔵さんは三体あります。
一体は明治の終わり頃、毛馬閘門(毛馬洗堰)の新設工事の浚渫の際に大川から発見され、一体は大正9年、現在の十三あたりにあった旧光龍字整地の際に掘り出され、更にもう一体は昭和6年に土佐堀の旧内務省大阪土木出張所敷地内にあったものがこの地に移転されたそうです。
こうして見ると、なんの繋がりも無いお地蔵さんのようですが、実はその昔、聖徳太子が仏教を広める為に現在の天王寺区の六万体町で、六万体ものお地蔵さんを作らせ全国に安置した、その中の三体と言われています。
聖徳太子の時代から現在に至るまでの大阪の歴史を訪ね歩いて調べる事がライフワーク化している私にとっては堪らないロマンある話だったりします。
大阪の街は、かっての淀川の下流部である大川・中津川・神崎川と共に発展してきました。度々起こる洪水から大阪の町を守るために、この地に毛馬洗堰が作られたのは明治の時代になってからです。
聖徳太子の時代には、おそらくこの地は上町台地の北の端にあって、手を合わせる度に、今ここにこうして六万体のお地蔵さんが集まって来ているのは偶然では無いという気がします。
毛馬の残念石
江戸時代の大阪城再築の際に廃城になった伏見城の城石を再利用するために運んだ途中に運搬船から転落した石だそうで、築城に使われなかったので残念石と呼びます。流域では度々この残念石が見つかる様です。
旧毛馬閘門
また、レンガ作りの旧毛馬閘門が3門残されていて間近で触れる事が出来ます。
実はこの付近は、見事な桜が咲く場所で、ちょっとした穴場的な場所だったりもします。
毛馬北向地蔵へのアクセスと駐車場情報
交通機関は市バスぐらいしか無くマイカーでのアクセスもパーキング探すのに苦労するかもしれません。
正直アクセスはよろしくないですが、ある意味大阪の歴史を語るに外せない場所です、天候の良い日に是非訪れてください。
春には桜の花がめちゃくちゃキレイな場所です。
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2020年 2月 28日トラックバック:長柄の鶯塚 | ディープ大阪
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