本日、1日はお朔日詣りの日
氏神さんにお詣りをし、神棚に手を合わせます。
我が家では子供の頃から祖母などが大騒ぎして、前日から神棚を片付け朝から神棚に手を合わせ仏壇の前で般若心経をあげてという事を「せられてきた」ので、当たり前の行事となってますが、これって今思えば物凄く貴重な習慣を受け継いだんだな、と思ってます。
もちろん、私は今、子供たちにそれを「させている」訳で、いつか受け継いでくれる日がくると良いなとか、漠然と思っています。
聞けば、商売人の家に強く残ってる習慣みたいですね。我が家のばーさんは、田舎から出てきて黒門市場界隈でお好み焼を焼いていたと言うこてこての商売人、もともと信心深いのもあるけれど、そういった流れなのかなとも思います。
いずれにせよ、自分の身辺を振り返ると言う事が悪い筈もなく、私はすっかりと習慣化しています。
お朔日参りの由来
さて、そのお朔日参り、簡単に言うと、正月の元日と同じような意味合いで、前の一月を無事に過ごせたお礼と、これから始まる新しい月を平穏無事に過ごせるようにと、氏神様に参拝する習慣です。
うちの場合は氏神様を自宅にも招いてるんで、神社にも詣りーの、自宅の神さんにも手を合わせています。
お朔日参りの由来は、神様の頂点にあるお伊勢さん。「月立ち」と言う意味があり陰暦では月の満ち欠けを中心に動いていて、新月が現れる日がその月の最初の日だったのです。
「月立ち」が「ついたち」になったと氏神さんの神社の神主さんに教えられました。
ディープ大阪な若い友人たちも、我々中年部がこうして手を合わせる姿をみて、同じように手を合わせる習慣ができて来たと思います。
断言しますが、神様仏様に手を合わせる事は良いことしか起こりませんから。
◆ 編集長G 記
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。