堺市の住所は、町名の後の1丁目とか2丁目の「目」がないのです。「堺市堺区南庄町1丁」というふうに書きます。
記者は堺市の出身なので、子供の頃は「目」に違和感があったのですが、世の中、目がある方が普通なのですね。
パソコンの自動変換でも、「1丁」と打ったつもりが「1兆」と出てきますもので、1丁目とわざわざ打ってから、目を消したりしています。
堺市が何丁目の目がない理由
目がない由来としては、堺は刃物の町なので、目を突いたらいけないから、なんていう人もいますが、それはウソです。
本当の由来は、「元和の町割り」にあります。
大阪夏の陣があった元和元年(1615年)、堺の町は丸焼けになりました。
戦災後、徳川家康が、現在チンチン電車(阪堺電車)が走っている大道筋と(紀州街道)と、垂直に交わる大小路通を基軸にして、碁盤の目に整備しました。
これが元和の町割りです。
(大道筋)
(真ん中の道路が大小路通。左右に走っている高架は阪神高速道路。)
今でも、大道筋沿いは通りひとつごとに町名が変わるほどの細かさなんですが、その昔は、ブロックごとに町名がついていたようで、狭い堺に400近くの町名があったそうです。
あまりに町名が多すぎるということで、明治になってから、主要な町名に東や西をつけて、さらに1丁2丁としたそうです。
もともと町名がついていたので、「丁」は「町」の意味を表すものとして、「目」はつけなかったのだとか。
「1町」「2町」という意味ですね。
もともとの堺は、土居川に囲まれた狭いエリアですが、現在の堺市全般に、目無しの慣習が踏襲されております。(平成17年2月に編入した美原区域を除きます。)
堺市外からくる郵便には、よく間違えて何丁目と書いてありますが、ちゃんと届いてますので、心配は無用です。
◆ 堺のT 記
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